ダーウィン(Darwin)はオーストラリア・ノーザンテリトリー準州の首府です。人口は約11万人(2003年)。オーストラリア大陸北側のチモール海沿いに位置しています。オーストラリアではアジアに最も近い位置にあることから、非常に多文化的な都市となっています。75の民族が見受けられ、人口の約4分の1がアボリジニなどの原住民となっています。また、ノーザンテリトリーで唯一の大学であるチャールズ・ダーウィン大学があります。
ダーウィンは乾季と雨季を持つ熱帯気候帯にあります。5月から9月までが乾季です。6月と7月が最も涼しい時期であり、気温は19℃から30℃です。雨季はサイクロンと季節風による雨を伴います。降水量の最も多い時期である12月から3月には激しい雷雨がよく発生し、湿度は70パーセントを超えます。
ダーウィン港は1839年にイギリス海軍の軍艦ビーグル号のJohn Lort Stokesによって発見されました。船長のJohn Clements Wickhamは、イギリスの自然科学者であるチャールズ・ダーウィンに由来して、この港をダーウィン港と名づけました。チャールズ・ダーウィンはビーグル号以前の探検航海に同伴したことがあります。
ノーザンテリトリーは当初南オーストラリア州に属していました。1869年、イギリス政府の主任監督者G.W. Goyderによって、135人の男女がポートダーウィンに小さな入植地を建設しました。Goyderはこの入植地に、イギリスの首相パーマストン卿にちなんでパーマストンと命名しました。1870年に大陸間電信のための最初の電柱が建てられました。1880年代にはパイン・クリークで金が発見され、パーマストン入植地は大きく発展しました。オーストラリア連邦政府は1911年にノーザンテリトリーを直轄地とし、同時にダーウィンが公式な名称になりました。太平洋戦争中の1942年2月19日には、242機の日本軍機による空襲を受け、少なくとも243人が死亡し、街は大きな損害を受けました。1974年12月25日にはサイクロンにより50人が死亡し、街の建物の70パーセントが破壊されました。これにより約3万人が航空機により避難しています。街は1970年代後半に新しい建材や技術により再建されました。衛星都市であるパーマストンは、1980年代前半にダーウィンの南20 kmの位置に建設されました。2003年9月17日、オーストラリア大陸縦断鉄道が開通し、鉄路でアデレードと結ばれました。
ダーウィンへの行き方
飛行機:ケアンズ2.5時間、アデレード3.5時間。
長距離バス:ケアンズ47時間、アリススプリングス28時間、パース56時間。
ダーウィンのホテル
ダーウィンの観光名所
オーストラリア真珠資料館(THE AUSTRALIAN PEARLING EXHIBITION):昔から現在までの真珠養殖や世界の真珠装飾品が展示されています。真珠養殖の大変さやこれまでの歴史がわかりやすく説明されています。ダーウィン市中心から1.5km、徒歩で20分です。
ノーザン テリトリー ミュージアム(MUSEUM & ART GALLERY OF NORTHERN TERRITORY):ファニー・ベイに位置し、アボリジニや東南アジアの美術工芸品、現代オーストラリア芸術家の作品を広く収蔵しています。ノーザン・テリトリーで採れる鉱物や自然原料なども展示されています。ダーウィン観光案内所から約2.5km、車で10分です。バスでファニーベイ(FANNIE BAY)下車。
ファニー・ベイ旧刑務所(FANNIE BAY JAIL):1883年〜1979年まで約100年間実際に使われていた刑務所跡です。現在は刑務所内部や小さな博物館の見学ツアーがあります。1952年に最後の死刑が執行された絞首台は深さ20メートルもあります。観光案内所から車で5分です。
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